大判例

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最高裁判所大法廷 昭和37年(あ)899号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人前堀政幸の上告趣意第一点について。

所論は、要するに、本件で郵送された文書は、公職選挙法一四二条に該当するものではなく、同法一四六条に該当するものであり、従つて選挙運動期間前においては、その頒布は罪とならないものであつて、この点において、原判決は事実認定ならびに法解釈を誤つたものであること、かりに右文書が同法一四二条の文書であるとしても、同条の規定は、選挙運動期間中の頒布行為に限り適用があるのであつて、そう解してのみ憲法二一条に違反しないものといい得るのであるから、選挙運動期間前における本件文書頒布行為を処罰した原判決は、判例に違反し、かつ、憲法二一条に違反するものであることを主張するものである。

所論中、本件文書が公職選挙法一四二条一項にいう選挙運動のために使用する文書に該当するものではない、との主張は、事実誤認及び単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。(なお、本人の写真、経歴を掲げ、「大なる政治家として大成させて戴きたい」等の記載をした本件文書について、「文書の記載内容自体よりしてその真意は、選挙運動のために使用するものと窺知するに難くなく、公職選挙法第一四二条にいう選挙運動のために使用する文書に該当するもの」と判示した原判決の判示は、正当として肯認し得る。)

次に、所論中、判例違反を主張する点は、本件と事案を異にする引用判例の趣旨を正解しないものであつて、採用することができない。すなわち、論旨引用の判例(昭和二八年(あ)第三一四七号、同三〇年四月六日大法廷判決、刑集九巻四号八一九頁)は、公職選挙法一四六条の制限違反に関するものであつて、同法一四二条の制限が選挙運動期間中の行為に限り適用されるとの趣旨を判示したものではない。同法一四二条と一四六条とを対比すれば、後者の規定だけが「選挙運動期間中は」と明示しているのであるから、前者の場合は、選挙運動期間中に限らず、選挙運動期間前の行為についても、その制限の適用がある趣旨であることは、文理上も当然というべきであつて原判決に何ら違法は存しない。

更に、所論中、憲法二一条違反を主張する点があるが、憲法二一条は、言論・出版その他表現の自由を絶対無制限に保障しているものではなく、その自由には公共の福祉のために必要かつ合理的な制限の存し得べきことは、つとに、当裁判所の判例とするところである(昭和二四年(れ)第二五九一号、同二五年九月二七日大法廷判決、刑集四巻九号一七九九頁)。ところで、公職の選挙につき文書図画の無制限の頒布等を許容するときは、選挙運動に不当な競争を招き、これがため、選挙の自由公正を害し、その適正公平を保障しがたいこととなるので、かような弊害を防止するために必要かつ合理的と認められる範囲において、文書図画の頒布の制限禁止等の規制を加えることは、選挙の適正公平を確保するという公共の福祉のためのやむを得ない措置であるから、かような措置を認めた公職選挙法一四二条の規定を目して憲法二一条に違反するものとはいえない。従つて右規定を適用して被告人を処断した原判決は正当であつて、違憲の非難はあたらない。

同第二点について。

所論は、量刑不当の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

よつて、刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官横田喜三郎 裁判官入江俊郎 奥野健一 石坂修一 山田作之助 五鬼上堅磐 横田正俊 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 石田和外 柏原語六 田中二郎 松田二郎 岩田 誠)

拝 啓

朝夕めつきり凉しく相成りましたが皆様御健勝で御活躍の事と存じます。

さて皆様は母校M中、M高を卒業されまして以来それぞれ職場なり学窓に於て日頃頑張つておいでになる模様を先生方なりM校同窓会の方々から承り喜んで居ります。

過般も秋田県選出のA氏が入閣後来京せられM校同窓会員を中核とした後援会が同氏を囲んでその健闘を祈り母校の思い出を語り合いました。尚亦奈良県選出の同窓会員B代議士も国政に参与され活躍されて居る事は同窓会員として誇りとし、喜びに堪えない次第であります。

さて五回生の甲野太郎氏は京都府会議員として約十年余に亘り直接府政に参画し何かと母校の為にも面倒を見て参りましたが其の間経済委員長、総務委員長とし或いは、予算特別委員長、市町村合併委員長と京都府の自治行政に尽粋する他、京都府のPTA協議会の会長定時制教育振興会等の直接教育の為尽した功績又大でありまして、あまねく京都府民有識者の知る所であります。

就きましては、従来五回生を中心として結成されて居ります後援会を此の際広く同窓各位の御参加を願い氏を韃撻激励する事に依り円熟した手腕と其の真価を益々発揮せしめる大な政治家として大成させて戴き度いと存じ、あまねく同窓の諸氏に御願いする次第であります。

最後に母校の隆昌とM校同窓会員諸氏の御発展を祈つて御挨拶と致します。

昭和三五年九月

同期生代表

K  ・  T

T  ・  K

<甲野太郎略歴および写真省略>

弁護人前堀政幸の上告趣意

第一点(被告人古川方章に関して)

原判決が控訴趣意第一点を斥けて、第一審判決がその理由の第一において被告人古川方章につき認定判示した事実につき、公職選挙法第百二十九条、第二百三十九条第一号、同法第百四十二条、第二百四十三条第三号、刑法第五十四条を適的ではないから、憲法第二十一条の規定に違反するものであることを示唆しておるのであると解せられるのである。

何故なら、「選挙運動期間」を超えるその前後に亘る期間において、選挙運動のために使用する文書、図画の頒布並に掲示を規制するとなれば、凡そ、民主政治の発達に貢献する言論、出版等の自由の保障などは、虚名になつてしまい、かかる規制は必要などころか、却つて公共の福祉に反し、不合理なものとなるからである。

現に、公知の事実として国会議員を始め、地方議会の議員が機会ある毎に行つている日常の言論並文書による諸活動(議会報告書の頒布或は後援会活動としての文書頒布等)は、明かに直接又は間接に目前又は予想される次回の選挙のための選挙運動に連るものであり、之を目して選挙運動の公正に対して、現在且明白な危険なりとなすことはできないのであり、唯、それが、「選挙運動期間中」に行われるならば、右判例が判示する如く、弊害を生ずるので、選挙運動の公正に対して、現在且明白な危険が存すると言えないこともないので、同期間中に限り言論、出版等の自由を法律によつて規制する必要と合理性があるとなし得るにすぎないのである。

もとより前述の法律的規制期間を更に必要且合理的に改めるべきか否かも考えられる(例えば衆議院の解散日以後、又は議員の任期満了日以後選挙運動期間の終期までと規制するとか、或は議員の任期満了日前六月の日以後選挙運動期間の終日までと規制するが如し)し、又自由とされている選挙運動の準備行為と選挙運動自体との区別につき明確な法的基準を示した上でのこの種の規制が考えられないことはない。然しそれは、今後の立法問題であつて、現行法の解釈を左右するものではない。

つまり右判例の判示するところによれば、公職選挙法第百四十二条及同第百四十三条の規定は選挙運動期間に選挙運動のために使用する文書図画は同規定に列挙するものに限ることとし、右規定の禁止を免れんとする文書図画については同法第百四十六条にょつて取締らんとする法意であることが明白である。

それ故同法第百四十六条で禁止される文書等は勿論、同法第百四十三条、同百三十四条所定外の文書等でもそれが選挙運動期間外に頒布せられるときは、ただ同法第百二十九条の違反(事前の運動)となることはあつても同法第二百四十三条第三号乃至第五号の違反となるものではない。換言せば同法第百四十二条、同第百四十三条及同第百四十六条の規定は選挙運動期間の行為に限り適用があるだけである。

従つて今第一審判決及原判決の判示に従つて、原判示文書が単に公職選挙法第百四十六条該当の文書たるに止まらず、被告人古川がそれを選挙運動のために利用せんとする犯意があつたが故に同法第百四十二条に所謂「選挙運動のために使用する文書」に変質したとしても(このような解釈は成立たないと思うが、)、右判例によれば、選挙運動期間外にそれが頒布せられた場合を同法条の違反(同法第二百四十三条第三号)とすべきではなく、況んや原判示文書が単に同法第百四十六条の文書たるにすぎないにおいておやである。

然るに原判決は昭和二五年九月二七日最高裁判所大法廷判例を挙げて被告人古川の判示行為が同法第百二十九条の違反となる外、同法第百四十二条の違反ともなるとし以て上来主張する趣旨と同趣旨に帰する控訴趣意第一点の違憲の主張を斥け、その理由として「公職選挙法第一四二条の禁止する選挙運動のために使用する文書図画の頒布行為は同法第一四六条と異り選挙運動の期間中に限らず、その期間前の行為をも包含するものであることは右第一四二条の規定の文理上明らかであつて所論引用の最高裁判所大法廷昭和三〇年四月六日判決は同法第一四六条違反の事案に関するものであつて、所論は同判決中の「選挙運動期間中を限り云々」の文言を捉えて独自の解釈をほどこし、同法第一四二条違反の本件にまで推測拡張せんとするものであつて採用の限りではない。従つて原判決は所論のような憲法第二一条及び最高裁判所の判例に違反するものでもなく、又法令の解釈適用を誤つたものでもない」と判示している。

然し右大法廷の判例は明かに公職選挙法第一四六条の規定の外、同法第一四二条及同第一四三条の各規定をも併せて一律にそれらの規定と憲法第二一条との関係を判示したものであつて、同法第一四二条の規定といえども、それが選挙運動期間に限り適用せられるにおいては憲法第二十一条の規定に違反するものでないことを判示したものである。

従つて原判決が右判例は同法第一四六条違反の事案に限り判例としての効力を有し同法第一四二条違反の本件については判例として適合しないとするのは右判例の判示を誤解しておるのであり、右判例は、同法第一四二条の禁止する文書図画の頒布行為は「選挙運動期間前の行為をも包含するものであることは同規定の文理上明らかである」とする原判決の右判示の如き見解に対してこそ憲法第二十一条の規定との関係において、「さに非ず」との解釈を判示しておるのである。

原判決は右判例が「選挙運動期間中を限り」と判示するところを誤解しておると謂うべきである。

即ち被告人古川が頒布した原判示文書が同法第百四十六条該当の文書であるとするも或は又同法第百四十二条該当の文書であるとしても右判例によりその頒布が選挙運動期間外に行われた場合には之を単に「事前運動」として違法とするは格別、同法第百四十二条又は同法第百四十六条の規定に違反するものとすることはできないのである。

そこで、被告人古川の原判示の行為を観ると、原判示文書は前述の如く独立してはそれ自体「選挙運動のために使用する」文書の意味を有してないものであ用して同被告人を有罪としたのは、事実を誤り又は法令の解釈を誤り、因て憲法第二十一条の規定並に昭和三〇年四月六日最高裁判所大法廷言渡の昭和二八年(あ)第三一四七号事件の判例に違反するから、破棄せらるべきである。

(1) 被告人古川方章が、原判示の通り昭和三十五年十月十二日頃から同月十八日頃までの間に、判示玉置一徳に関する原判示文書を京都市伏見区桃山高等学校(旧桃山中学校を含む)の卒業生である美馬哲等約五千弐百四十八名方へ郵送頒布した事実については争わない。

(2) 然し、右判示期間は判示玉置一徳が昭和三十五年十一月二十日施行の衆議院議員選挙にあたり、立候補の屈出をした日(昭和三十五年十月三十日)よりも以前の日時であることも本件記録中の証拠に照らし争ないところである。

(3) そして原判示文書が、その頒布当時京都府会議員であつた判示玉置一徳の政治活動を後援する所謂、後援会に加入するよう同人が卒業した京都府立桃山中学及びその後身と見られる京都府立桃山高等学校の各卒業者に勧誘し以て入会申込を得んがため同人の経歴、殊にその政治活動並社会活動の事績を賞揚し且同人の写真を掲載して同人の人物を推奨するものであることは、判示文書の内容文言並構成様式自体によつて極めて明白であつて、判示文書からはそれ以外の含意を憶測することは判示文書自体の表現に照らし許さるべきことではないのである。

(4) 従つて被告人古川が原判示の如く、原判示文書を郵送頒布したのは全く原判示文書に表示した玉置一徳後援会加入勧誘の手段であつて、それ以上でも、それ以外でもないのであるから、その手段は明かにその目的を同後援会加入勧誘に限定する効果をしか伴わないのである。

(5) 然し同被告人がその公判前の捜査官作成の供述調書において原判示文書を頒布した目的は、判示玉置一徳が近く施行せられる原判示選挙にあたり同人が立候補したときに同人に投票方を依頼するに在つた旨供述しておるのである。

従つて、第一審判決が公判前の被告人の供述調書を採つて、被告人古川が原判示文書を頒布したのは、玉置一徳が判示選挙に立候補するにあたり、之に先んじて所謂事前運動として、同候補者に当選を得しめる目的を以てしたものであると認定し、原判決も亦之を認容したので、今更この点において事実の誤認を愬えんとするものではない。然し被告人古川が頒布した原判示文書はそれ自体は選挙運動のために使用する文書と認めることが出来ないことは該文書の文言自体によつて明かなところであるから、該文書は公職選挙法第百四十六条に所謂「候補者の名を表示した文書」に過ぎないのであつて、被告人が該文書を頒布する意図が選挙運動のためであつても、そのために該文書自体の性格を変え因てそれが選挙運動のため使用する文書となるものではない。

(6) 従つて原判決判示の通り、被告人古川が原判示文書を頒布して原判示選挙に立候補の届出をしていない時期において、同候補者のため選挙運動を行つたことが公職選挙法第百二十九条、第二百三十九条第一号に該当する行為であるとしても、原判示文書の頒布行為が同法第百四十二条、第二百四十三条第三号に該当し、違法であるとし判示したのは事実を誤認し且法令の適用を誤り因て憲法第二十一条の規定並に前記判例に違反しているのである。

何故なら、憲法第二十一条は「集会、結社及び言論、出版、その他一切の表現の自由はこれを保障する」と宣言しており、被告人古川の原判示文書の頒布は同条が保障する言論、出版の自由に属するからである。

なるほど集会、結社、言論、出版その他一切の表現といえども公共の福祉に基き、合理的な法律的制約に服せしめられることを免れ得ないであらう。(昭和二四年(れ)第二五九一号、同二五年九月二七日大法廷判決)

ところが、本件に関連する最高裁判所判例によると、「論旨は公職選挙法一四二条、一四三条、一四六条は憲法二一条に違反して無効であると主張する。しかし憲法二一条は言論、出版等の自由を絶対無制限に保障しているのではなく、公共の福祉のため必要ある場合には、その時、所、方法等につき、合理的制限のおのづから存するものであることは、当裁判所の判例とするところである(昭和二四年(れ)第二五九一号、同二五年九月二十七日大法廷判決)。そして、公職選挙法第百四十二条、百四十三条、百四十六条は、公職選挙につき文書図画の無制限の頒布、掲示を認めるときは、選挙運動に不当の競争を招き、これがため、却つて選挙の自由公正を害し、その公明を保持し難い結果を来すおそれがあると認めて、かかる弊害を防止する為め、選挙運動期間中を限り、文書図画の頒布、掲示につき一定の規制をしたのであつて、この程度の規制は、公共の福祉のため憲法上許された必要且合理的の制限と解することができる。それ故、所論は理由がない。」(昭和三〇年四月六日大法廷の昭和二八年(あ)第三一四七号事件判決)と謂うのである。

この判例は、本件につき第一審判決及原判決が適用している公職選挙法第百四十二条の規定が合憲であることを宣明しているのであり、その理由とするところも、亦、納得できないことはないが、同判例が「この程度の規制は公共の福祉のため」「必要且合理的」なものとして憲法上許されてよいとしている「この程度」という程度については、「選挙運動期間中に限り、」と明言せられていることを重視しなければならないのである。つまり、同判例はその判示する如き弊害を防止するため、「選挙期間中に限り」規制することが、「必要且合理的」であると言えるけれども「選挙運動期間」を超えてこの種の規制をすることは、たとえ、公共の福祉のためにも、必要且合理り、それが同被告人の公判前の供述によつて、わずかに所謂事前運動のために利用せられたものの如く認められるにすぎないのである。然し、それにしても、既述の通りそれが頒布せられたのが、「選挙運動期間中」でなかつたことは、第一審判決及原判決の判示によつて明白であるから、右判例により公職選挙法第百四十二条又は、同法第百四十六条の各規定に違反しないことも明白である。

然るに原判決が同被告人のその所為に同法第百二十九条並同法第二百三十九条第一号を適用したのはともかく、更に同法第百四十二条及同第二百四十三条第三号を適用することができるとの解釈を判示しておるのは、右昭和三十年四月六日の大法廷判例に違反した解釈であつて憲法第二十一条の規定に違反する。

仍て原判決は破棄せらるべきである。

第二点 <省略>

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